第1次ミッション<2005年2月2日-14日>

第1次ミッションの意義

2005年2月2日から2月14日の間、現地受入の体制を整えてくれたYLBHI(インドネシア法律扶助協会)のスタッフとともに、首藤信彦氏(IB運営委員)・吉村誠司氏(IB運営委員)・前田真吹氏(調査担当)が国際・国内NGOの支援状況・今後必要な支援策などについて、現地情勢および支援体制を視察し、中長期的な復興支援のための調査を行いました。

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アチェ津波調査報告

昨年末に突然起こったスマトラ地震。最も津波被害が顕著であったパンダアチェに2月4日からの10日間、映像取材担当として入らせていただいました。 現地に入ってまず最初に確認したかった「伝染病による二次災害の有無」でしたが、各国の政府や国際機関、NGOの早急な活動により、未然に防げたとのことで、まずはホッと、全身の力が抜けました。17の村が、家屋と村民ごと全てのみこまれ消えたという、これ以上の悲しみを生む二次災害は決して起こすべきではなく、緊急支援に尽力なさった方々に対して、ただただ、感謝の念を感じずにはおられませんでした。

まずは津波が直撃をした海岸線を見に行きましたが、海辺に密集していた民家や建築物等全てが崩壊、また大きな船は民家に向かって陸に乗り上げているという、見渡す限り、想像を絶するパノラマ景色が続いていました。海辺で元の形をとどめていたのは、人間が作った建造物ではなく、約20mほどの一本の木でした。

 

たった1本の残された椰子の木とアチェの旗
たった1本の残された椰子の木とアチェの旗

 

また、多くの地域では、モスクはかろうじて原形を残しており、屋根につかまった多くの人が生き延びたそうです。人々は残されたモスクで、更なる祈りを心の拠り所にして、生きておられました。

宗教指導者のダニエルさんはこうおっしゃって皆を励ましておられました。「これは世界の終わりではない。更に良いコミュニティを皆で作る為の、チャレンジなんだ。」と。

また、津波後の混乱に乗じて、何者かによって、国軍兵士であった実兄を殺された、という女性に会いました。彼女は言いました。「津波は神からの警笛だと思う。もう争うのはやめて、政府も民衆も協力し合い、平和な国を再建していくべきなんだ。」と。
 
避難民キャンプでは「政府は世界からの援助金を公正に分配しないだろう。」という、人々のあきらめのようなつぶやきをいくつか聞きました。今回の津波被害によって、アチェは世界に大きくクローズアップされた結果になりました。

 

被災者の話をヒアリング
被災者の話をヒアリング

 

私達にとっては、インドネシア政府と民衆の長年の亀裂について知り、学ぶ機会が与えられたのだと、そう捉えることができます。どんな小さな事でも、できる事は必ずあるはずです。神様に問われているのは、私達人類全体の今後の姿勢であり、自分自身なのではないか?そう思えてなりません。微笑みながら、強く助け合って生きようとするアチェの人々に、自分の足元をみつける機会をいただいた思いです。


報告:Make The Heaven 前田真吹

 

インターバンド・ミッション 報告会 『アチェ州は、今』

 インターバンド・アチェ派遣メンバーの帰国に伴い、2月15日(火)と19日(土)に報告会『アチェは、今』を開催いたしました。両日あわせて約40名ほどにご参加をいただき、現地の状況・国際国内NGOの支援状況・今後必要な支援策などについて、吉村誠司氏(IB理事)と前田真吹氏(調査担当)が報告しました。

両氏は、地震及び津波後1ヶ月以上たったアチェの様子や、国内・国際NGOや日本の自衛隊による支援の様子など、アチェの今の状況について様々な視点から報告を行いました。アチェ人口約50万人のうち、死亡約12万人、行方不明約12万人といわれる大惨事の傷跡を目の当たりに、一般の方や支援団体のボランティア、日本の自衛隊など様々な人にインタビューを行い、援助ニーズを探りました。

 

報告する吉村理事
報告する吉村理事