第4次ミッション(2005年4月22日‐29日)

第4次ミッションの意義

4月22日から29日まで、山田満氏(代表)、森裕之氏(IB運営委員)、松浦香恵氏(事務局長代行)がアチェ州に滞在しました。今回のアチェ入りの目的は、プロジェクト運営のカウンターパートである現地NGOとの仕事が主な仕事でしたが、「復興」や「アチェの和平プロセス」に関しても、地元民と意見交換を行い、今後の課題を見出すよい機会となりました。

 

第4次ミッションの報告

■現地の様子

一番の津波被災地・ウレレ地区は、未だ戦争の後の焼け野原のような状態でした。海 岸から1キロくらい内陸に流れたタンカーはそのままの状態でした。多くの人々が、 現地を訪れていました。なくなった遺族の遺品を捜す人たち、ただ単に様子を見に来た人、様々でした。海岸線から2キロ以内は政府の通達で入域が制限されていましたが、前回来たときよりも、テントを張ってすんでいる人が数多く見られました。復興には、まだ長い時間が必要とされる印象を持ちましたが、独自で家を建設し始めよう としている人がいたり、ボートを作っていたり、何人かで助け合って養殖事業を始め ようと足場を固めている人がいたり、悲惨な状況ながらも、そういった人々の手作り の再建活動を垣間見ることができました。仮設住宅にも人々は移り始め、不便な中で も助け合って生活をしている人々がいました。中にも入りましたが、プレハブなため大変蒸し暑い印象を受けましたが、入っている人々にインタビューしたところでは、それでもすむ環境があることはありがたい、ということでした。

1日は、現地のパートナーNGOに対し、市民社会からの募金を各団体に渡す小さなセ レモニーを行い、そしてその後、意見交換会を行いました。

 

募金を渡したNGOは以下です。

(1)NGO Coalotion For Advocacy

 協力団体であるYLBHI(インドネシア法律扶助教会)が進めているAccess to Justiceプログラムの一環であるプロジェクト。土地所有権問題、財産権などの様々な市民からの苦情を受付け、解決方法をアドヴァイスしている。広範なネットワークを有してお り、週に一度、国際NGOや国連機関(オックスファム・PBI(Peace Brigade International)・UNIFEM)もこのミーティングに参加している。

 

(2)PCC(People Crisis Center)

 震災遺児や離散家族へのケアーを行っている。津波前から、ストリートチルドレンや漁村や農村などの子どもたちに支援を行っている。

 

(3)Perempuan Meredeka(自立女性の会)

 農村や夫をなくした女性への小規模融資支援、女性の政治参加・社会参画を進めるためにワークショップなどを開催している。

 

(4)Ulama Support Program

 Ulamaは現地の宗教指導者。仮設住宅において、コーランを配布したり、宗教 的な内容を盛り込んだ映画上映会などを行っている。Bakiaという宗教者の社会活動グループが中心になっている。

 

(5)Gerakan Peduli Anak Dini Usia

 モハマディア・センターの教育プログラムのひとつのプロジェクトで、宗教的な配慮  に基づいた国内避難民キャンプなどでの教育活動を行っている。

 

(6)EPC

 子どもや若者への教育プログラムを行っている。この団体のみロクスマウェ(東海岸)でプロジェクトを行っている。

 

募金は、大きな国際NGOに流れることが多いため、このような現地の人々の手によるNGOへの募金は非常に意義深いと思いますし、今回初めて募金をもらうNGOがいて、大変励まされたといわれました。特に(3)の自立女性の会は、女性の活動家が多くの迫 害を受けている中での支援でしたので、大いに喜ばれました。

式典の後は、意見交換会を行いました。質問の内容は圧倒的多数が「日本政府のアチェ和平プロセスに対する対応と取り組み」でした。NGOのスタッフの関心は、やはりアチェの和平にあることを再確認しました。闊達な意見交換を行うことができ、関係性がより深まったことを実感しました。

 

式典・意見交換会を無事に終え、次の日、ウラマ(宗教指導者)アソシエーションにいきました。第1陣のメンバーが訪問したときの場所は仮の場所でした が、やっとBAKIAの活動の拠点の建設が始まり、そこの長であるイブラヒム氏に再会でき ました。宗教的な役割の重要性を説明していただきました。温厚な人柄に一同感銘を受けました。(右下の写真)写真の中に私が長老のスカーフを触っているものがありますが、私が うっかり握手をもとめたところ、とっさに長老はスカーフを差し出し、そのスカーフ に触って、挨拶をしました。イスラムの社会を実感する瞬間でした。

 

 

活動最終日は、山田氏と森氏は、シグリ(漁民地域)へ、 松浦は、ジャント村で地方裁判が行われるということで行ってきました。この裁判は、津波に寄せられた救援物資を隠したとされる人が被告となった初めての ケースで、ジャカルタからメトロTVをはじめ多くのメディアが訪れていました。 協力関係にあるNGO/インドネシア法律扶助協会の弁護士であるイクラバニー氏が弁護 人ということで行ってきました。

内容は、今まとめているのでなんともいえませんが、援助と政治に関わる難しい内容でしたが、弁護士の人は、「表面化した津波被災者のための行方不明物資が、正当な やり方で裁かれるケースは始めてて、画期的なことである」とメトロTVの質問に答え ていました。

私が2月に来たときには、地方裁判所すら開廷されていなかったので、そのような点からも、少しずつ進歩が見られました。

次に、地元の市会議員と森さんが意見交換を行いました。地元の地方議員からは、大 変歓迎されていて、これからも関係性を保っていきましょう、ということになりまし た。

その方は、今回イン ターバンドの地元プロジェクト担当とていしてイルマさんという方を雇いました。日本に も留学経験があり、日本語を少し話せますので、雇用しました。 彼女は、妹とおばさんをなくされたそうです。 今回、出会った人のほとんどの方が津波で身内をなくされており、そのような点からも、被害の甚大さを思い知りました。

 

 

■今後の行方

現地の人々の懸念は、復興もあるのですが、多くの人々の懸念は、アチェの和平プロセスにあります。

 

アチェ側が提示している自治政府(self government)とインドネシア側が主張する自治州(Autonomy)の間にかなりの違いがあり、7月には決着をつけようとしているヘルシンキでの会議は、難航することが予想されると思います。ただ、今回の津波によって、アチェ内には、紛争を終結させたいという機運が高まっており、それが棚上げした形でインドネシア国軍、政府、GAM、アチェの一般市民間で、平和裏な決着に勢いを持たせるのか、それに関しては、各アクターの力学がどのように作用するのか、引き続き見守る必要があることを強く感じました。

7月に決着がなされるとされる和平プロセスの結果によって、GAMの武装解除の方法もかなり違ったものになることが予想されると思いました。

(報告:松浦香恵)